「ラグタイム」とは、1880年頃にアメリカで誕生した音楽ジャンルのひとつである。
アフリカ系アメリカ人が生み出したこの音楽は、1985年から1919年までポピュラー音楽としても大衆に広く愛されていた。この間は「ラグタイム黄金期」とも呼ばれており、現在でもよく耳にする”Maple Leaf Rag”や、”The Entertainer”など、多くの名曲が生まれた期間でもある。
今回はこの100年以上も愛され続けているジャンル、「ラグタイム」の歴史を紐解いていこうと思う。
ラグタイムの起源
一世紀以上に渡り、世代を超えて愛され続けている音楽、ラグタイム。
その起源は未だ明確になっていないものの、アメリカ国内の中西部で誕生した説が有力となっている。
1890年頃は、「マーチ王」と称されているジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa)の影響から行進曲が人気を博していた。この白人発祥の西洋音楽に、ブラックミュージックであるアフリカのポリリズムを融合させたジャンル、それが「ラグタイム」なのだ。
リズムに大きな特徴を持つラグタイムは2/4、または4/4拍子の楽曲が多く、1つのセクションは16小節、もしくは32小節で分けられている。
シンコペーションしたメロディーとリズミカルな低音で構成されており、基本的にはピアノで作曲されることが多い。この16~32小節の区切りは、後に誕生する「ジャズ」のルーツとなっている部分でもあるだろう。
ラグタイムの普及
多くのアメリカ人がラグタイムに触れる機会となったのは、シカゴ万国博覧会が最初だと言われている。このイベントは1893年5月から約5ヶ月間に渡り開催され、合計2700万以上の人々が来場。マーチ・ワルツ・ポルカなど様々なジャンルの音楽が演奏され、そのうちのひとつにラグタイムが含まれていた。しかし当時は「ラグタイム」ではなく、黒人が演奏する音楽を意味する『コーンソング』(Coon Song)と呼ばれていたそうだ。
「ラグタイム」と言う言葉が定着したのは1895年。アフリカ系アメリカ人エンターテイナーのアーネスト・ホーガン(Ernest Hogan)が"La Pas Ma La"を作曲した年だ。
この曲が発表された数ヶ月後、同じくアフリカ系アメリカ人ピアニストのベン・ハーニー(Ben Harney)が"You've Been a Good Old Wagon But You Done Broke Down"をリリース。「ラグタイム」というジャンルが広まったのは、この曲による功績が大きい。
ちなみにベンはラグタイム王と呼ばれるスコット・ジョプリン(Scott Joplin)が登場する以前から、このスタイルで活躍していた。1924年に発行されたニューヨークタイムズ誌ではベンを「最もラグタイムを大衆に広めることに貢献した人物」と紹介している。
このころから「ラグタイム黄金期」が始まったと定義してよいだろう。
「ラグタイム」と呼ばれている由来
ラグタイムという言葉は、二つの単語により構成されている。
まずひとつが、「ズレる、不正確」と言った意味を持つラグ(Rag)。
19世紀後半は一定でない、リズムを崩して演奏することをラギング(Ragging)と呼んでいた。ピアノでいうならば、ラグタイムは左手と右手を違うリズムで演奏することになる。そのため、ラグ(Rag)という単語が使用されることとなった。
次のタイム(Time)についてだが、これはテンポを表している。
1890年頃に出版された辞書では、タイム(Time)は音楽のリズムを表現する接尾辞としても使用されていた。例えば、ワルツタイム(waltz-time)、マーチタイム(March-time)、ジグタイム(jig-time)といった感じだ。
このふたつの単語が結合し、ラグタイム(Rag Time)と呼ばれるようになったのが通説である。
広がるラグタイムの熱
1897年に入ると、白人ピアニストのウィリアム・クレル(William Krell)が”Mississippi Rag”を作曲。これを音楽出版社に勤めていたブレイナード・ソンズ(S. Brainard's Sons)が楽譜として発行し、「初めて譜面化されたラグタイムの楽曲」となった。
そしてその2年後には「ラグタイム王」のスコット・ジョプリン(Scott Joplin)が登場。
スコットは1899年に永遠の名曲"Maple Leaf Rag"を出版しているが、これに欠かせない人物がジョン・スターク(John Stillwell Stark)だ。
ジョンは南北戦争に参加した後、軍を退き1886年からミズーリ州シデーリアにて、ミュージックストアを経営していた。この店を"Maple Leaf Rag"を出版したがっていたスコット・ジョプリンが訪れ、曲のデモンストレーションを披露。
ジョンは楽曲の素晴らしさに感動したが、技術的に難易度の高いこの曲を発行することを躊躇した。なぜならこの時代、「売れる楽譜=簡単な楽譜」だったからだ。
しかし息子からの励ましを受けたジョンは最終的に”Maple Leaf Rag”の楽譜を出版すること決意。結果としてこの譜面は100万枚以上を売り上げ、スコット・ジョプリンのラグタイム作曲家としての地位を確固たるものにした。
この後、ジョン・スタークはジョゼフ・ラム(Joseph Lamb)、ジェームズ・スコット(James Scott)、アーサー・マーシャル(Arthur Marshall)、エティルモン・スターク(Etilmon J. Stark)など著名な作曲家の楽譜を出版。ラグタイムの発展にかかせない存在となった。
ラグタイムの聖地、ミズーリ州
ラグタイムの発展に最も貢献した場所と言えば、アメリカ中西部のミシシッピ川沿いにあるミズーリ州だろう。スコット・ジョプリン(Scott Joplin)、ジェームズ・スコット(James Scott)を始め、多くの優れたピアニストがこの地に集結していた。
これには明確な理由がある。
ミズーリ州はアメリカのほぼ中心に位置しており、1900年頃は他の州へ移動する際によく経由されていた土地であった。そのため酒場や売春宿、ホテルなどの観光業が盛んで演奏する場も多く、演奏家にとって稼ぎやすい環境だったのだ。
またラグタイムは、黒人の間で発祥したダンスの一種であるケークウォーク(Cakewalk)の要素も持つ。独特のリズムで明るい曲調のラグタイムは、観客にもウケがよく、それゆえに多くの人に広まっていったのではないだろうか。
ちなみにジョプリンが住んでいたミズーリ州シデーリアでは、現在でもラグタイムにちなんだイベントを定期的に開催している。これは『スコット・ジョプリン・ラグタイムフェスティバル』(Scott Joplin Ragtime Festival)と呼ばれているため、興味のある方は是非チェックしてみてほしい。
ヨーロッパに伝わったラグタイム
ヨーロッパにラグタイムを広めたのは、マーチ王ジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa)でトロンボーンを演奏していたアーサー・プライアー(Arthur Pryor)だと言われている。アーサーは1900年にスーザ・バンドでヨーロッパを周った際、各地でラグタイムの素晴らしさを伝えていたようだ。
また彼自身もいくつかのラグタイムの曲を書いており、作曲家としての一面も持っていた。
増えすぎたラグタイムの楽曲達
1900年に入ると、ラグタイムはどこでも聞けるポピュラー音楽となった。
楽譜やレコード、ピアノロール、コンテスト、ミュージックボックス、映画館、売春宿などあらゆる場所がラグタイムで溢れていた。
出版社は凄まじいペースで楽譜やレコードを売り出し、それらは飛ぶように売れていった。本来の複雑な譜面なはずのラグタイムだが、大衆へ向けた簡単な譜面を大量に発行していたようだ。
それでも1902年にはジョプリンが”The Entertainer”を作曲。1906年にはジェームズ・C・スコット(James C. Scott)が”Frog Legs Rag”をリリースしており、良質なナンバーも次々と生まれていた時期でもある。
時代遅れとなったラグタイム
1910年代も依然として高い人気を誇っていたラグタイム。
しかしアメリカが第一次世界大戦に参戦した1917年、ラグタイムはあるジャンルにその人気を奪われることになる。
それがニューオリンズ発祥の音楽、ジャズ(Jazz)である。
1917年、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(Original Dixieland Jass Band)がジャズ界で初の商業用レコードを発表すると、その人気が爆発。ラグタイムは忘れさられ、一気にジャズの時代へと突入する。
再びスポットを浴びたラグタイム
1920年以降のジャズ人気は凄まじく、ラグタイムは注目を浴びることはなくなった。
時折ジャズダンスバンドが"Maple Leaf Rag"を演奏することはあったが、それは一種の”古めかしさ”を表現するための、いわばパロディ化したようなものだった。
ジョゼフ・ラム(Joseph Lamb)という優れた作曲家がいるが、彼の娘は自分の父が有名なラグタイムの作曲家であることを1950年まで知らなかったというエピソードがあるほどだ。
復活の兆しが見えたのは1970年前後。
まず、1968年にコロンビアレコードがラグタイムアルバム『The Eighty-Six Years of Eubie Blake』をリリース。黒人ピアニストのユービー・ブレイク(Eubie Blake)の楽曲を中心に収録されたこの作品は、ラグタイムを聞いたことなかった人々の心を掴むことに成功した。
そして1970年、ノンサッチレコードからスコット・ジョプリンの楽曲を集めた『Scott Joplin: Piano Rags』が発表された。ジョシュア・リフキン(Joshua Rifkin)がピアノを担当した今作は、ラグタイムアルバムとしては異例の100万枚以上の売り上げを突破。翌年のグラミー賞では2部門にノミネートされるという快挙を達成した。
完全復活の原因となったのが、1973年公開のアメリカ映画『スティング』(The Sting)である。この映画が大ヒットし、グラミー賞も複数獲得。劇中で使用されたジョプリンの名曲"The Entertainer"もこれに影響を受け、ビルボードで3位を獲得するほど多くの人に認知されることとなった。
その後のラグタイム~現在に至るまで
映画『スティング』の後、ラグタイムは1970年代後半から再び脚光を浴びることになる。
ラジオやテレビではラグタイムの特集が組まれ、ライブやフェスティバル等でも演奏される機会が増えることとなった。クラシック界からはデイビット・トーマス・ロバーツ(David Thomas Roberts)、スコット・カービィ(Scott Kirby)など優れたピアニスト達がラグタイムを演奏し、再建に貢献。
その中でもジョシュア・リフキン(Joshua Rifkin)は「スコット・ジョプリンの再来」と呼ばれ、現代のラグタイムには欠かせない存在へと成長した。
それから現代に至るまで、ラグタイムは私たちの周りで様々な場面で使われている。テレビ番組、CM、ゲーム、アニメ、応援歌など、私達は知らず知らずのうちにラグタイムを耳にしているのだ。
この理由は単純明快である。
それはラグタイムが「聞いていて、楽しい音楽」だからだ。
ラグタイムの音楽的特徴
最後にラグタイムの音楽的特徴について、補足していきたいと思う。
上で述べたとおり、ラグタイムとは白人発祥の西洋音楽とアフリカのポリリズムを融合させたジャンルというのが通説だ。
音楽歴史家のヒュー・ウィリー・ヒッチコック(H. Wiley Hitchcock)は、ラグタイムの独特なリズムについてこう語っている。
「アフリカ系アメリカ人は、裏拍の強いシンコペーションを好む傾向にある。これは彼らの起源であるアフリカンドラムや、アフロカリビアンのダンスリズムが関係しているのではないだろうか。」
ラグタイムで最も基本的な形が2/4拍子だが、これは20世紀初頭に流行した黒人のダンスであるケークウォーク(Cakewalk)が起源となっている。
これが”短-長-短-長-長”といったシンコペーションを生み、軽快なリズムを生み出すのだ。こちらの記事を参考にするのであれば、「タ、タン、タ、タン、タン」の感覚である。
ただし、ラグタイムのシンコペーションはシンプルなケークウォークと違い、変化に富んでおり、複雑だ。素晴らしいラグタイムで見られるリズムの強弱は、緩さや自然な流れがある。これは作曲家が書いた楽譜を忠実に演奏することにより、再現できるものだ。
ラグタイムとバンジョーの関係
「ラグタイム独特のリズムは、バンジョーが由来ではないか?」という説もある。
確かな証拠はないものの、いくつかの文献では「バンジョーがラグタイムの発展に貢献した」と記録されているものがある。
新聞記者のラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)は、1881年の記事でこう綴っていた。
「黒人が演奏するピアノを聞いたことがあるか?彼らはピアノをバンジョーのように演奏するのだ。」
また1899年には、音楽評論家ルパート・ヒューズ(Rupert Hughes)がラグタイムを「バンジョー的表現」(Banjo Figurations)という言葉で表現していた。
まだジャンルとして「ラグタイム」が定着していなかった彼らにとって、この音楽は”バンジョー的な音楽”に聞こえたのだろう。
現代では、ラグタイムの楽曲をバンジョーやギターで演奏するミュージシャンも増えている。
バンジョーが実際にラグタイムの起源となっていたかは定かでない。
しかし、弦楽器がラグタイムの独特なリズムを表現できる数少ない楽器であることは間違いないだろう。