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色聴を持つ早熟の天才ベーシスト、スチュアート・ゼンダー(Stuart Zender)- ジャミロクワイ(Jamiroquai)

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「色聴」とは、共感覚と呼ばれる知覚現象のひとつで、音に対して色を感じる知覚のことだ。
つまり、音を聴くとそれを「色」として認識し、判別することができる。
そんな特別な才能を持った生まれたのが、ジャミロクワイ(Jamiroquai)の初代ベーシスト、スチュアート・ゼンダー(Stuart Zender)だ。
10代でジャミロクワイに初代メンバーとして活躍し、黄金期と言われる初期の3作でファンキーなベースを披露。ボーカルであり、バンドリーダーでもあるジェイ・ケイ(Jason Kay)との確執から、ジャミロクワイのベーシストとして参加したのはこの3作のみに留まった。しかし、現在でも人気が高く、日本でもハマ・オカモト、鈴木渉、須長和広、小杉隼太など、多くのフォロワーを抱えている。
この才能溢れるベーシストは、果たしてどのように誕生したのだろうか。

1974年3月18日、イギリスのシェフィールドにて生誕

スチュアート・ゼンダー(Stuart Zender)は1974年3月18日、イギリスのシェフィールドに生を受けた。
イギリス生まれではあったが、7歳の時に父の仕事の関係でアメリカへ渡り、フィラデルフィアの音楽専門系の小学校へ入学している。
そこで始めて手にした楽器はマーチング・ドラム。しかし、教師とそりが合わずにすぐ辞めており、その後は友人と共にミスフィッツ(The Misfits)のコピーバンドに挑戦。だがここではメンバーが集まらず、バンドとして活動するまでには至らなかった。

14歳になる頃、スチュアートはアメリカから英国へ戻り、バークシャーの音楽学校へ通い始めた。
そこで彼に衝撃を与えたのが、当時ウェザー・リポート(Weather Report)に在籍していたジャコ・パストリアス(Jaco Pastorius)だ。ジャコに感銘を受けたゼンダーは、そこからベーシストして活動することを決意する。

パンクからフュージョンに転向したゼンダーは、そこからジャコのように演奏するため、練習に明け暮れる日々を過ごすこととなる。学校にも行かずベースを弾いていたため、遂には学校を1年で退学になってしまった。

スチュアートは譜面が読めない為、ベースは全て耳コピで練習していた。特に、ウェザー・リポートのブラック・マーケット(Black Market)がお気に入りで、このアルバムをよくコピーしていたそうだ。

17歳になる年、ゼンダーは母から一人暮らし用の資金として£2000を預かったものの、そのお金で新しいベースを購入。この時に購入したのが、ゼンダーの代名詞ともいえるワーウィック・ストリーマー(Warwick Streamer)だった。ちなみにこのベースを手に入れる前はミュージックマン・スティングレイ(Music Man Stingray)を使用していたらしい。

ワーウィックを手に入れたゼンダーはストリートで演奏をするようになる。そしてこれがきっかけとなり、オズリック・テンタクルスのローランド・ウィニー(Roland Winnie)と進行が深まるようになった。
そしてこのオズリック・テンタクルス(OZRIC TENTACLES)に在籍していたのが、ジャミロクワイの初代ドラマー、ニック・ヴァン・ゲルダー(Nick Van Gelder)だ。
ニックはこの頃すでにジャミロクワイ (Jamiroquai)に在籍しており、これがきっかけでゼンダーもオーディションを受け、1993年に同バンドへ加入することとなった。

ジェイ・ケイと共に築いた、ジャミロクワイの黄金期

1993年、ジェイ・ケイ(Jason Kay)率いるジャミロクワイ (Jamiroquai)は、1stアルバム『エマージェンシー・プラネット・オン・アース』(Emergency On Planet Earth)をリリース。1992年のリードシングル"When You Gonna Learn"のヒットもあり、発表以前から注目を集めていたこのアルバムは、UKアルバムチャート1位にランクイン。「アシッドジャズ」に分類される作品では、異例の100万以上を売り上げた
ゼンダーはこの作品ではジェイ・ケイが用意したベースラインを録音。しかし、1970年代のブラック・ミュージックから影響を受けた"ゼンダーらしい"ファンキーなプレイも感じられる。
また、ベースのサウンド面に関して言えば、2作目・3作目より生音に近いことも、この1stアルバムの特徴だ。

翌年の1994年にはセカンドアルバム『スペース・カウボーイの逆襲』(The Return of the Space Cowboy)をリリース。ファンクとクラブミュージックが融合されたこのアルバムも100万枚以上を売り上げ、商業的にも成功を収めている。
また、ゼンダーはこの作品から作曲にも携わることができ、"Scam""Morning Glory""Mr. Moon"の3曲にてクレジットを得ることができた。しかし、ジェイ・ケイとの作曲はスムーズには行かなかったようで「音数を減らして弾くように」と注意を受けることが多かったようだ。
これに関し、ゼンダーも当時のことを「あまりベースの勉強をしていないから、速くて派手なベース・ラインをうっかり弾いてしまった」と語っている。
このアルバムの目玉は、ジャミロクワイ (Jamiroquai)を代表する曲となった"Space Cowboy"だろう。コンプの効いたゼンダーのプレイは、多くのベーシストを虜にした歴史に残る名演だ。

1996年、ジャミロクワイ(Jamiroquai)は3rdアルバム『トラベリング・ウィズアウト・ムーヴィング~ジャミロクワイと旅に出よう~』(Travelling Without Moving)をリリース。ファースト・セカンドアルバムはジャム的要素が強かったが、この3rdアルバムはキャッチーな楽曲が増え、より多くの人へ向けた作品となっている。
その結果、売り上げは日本だけでも140万枚、世界では脅威の800万枚以上を突破し商業的にも大成功することとなった。
ゼンダーのベースラインもキャッチーなフレーズが増えたといっていいだろう。
ディスコ風のフレーズが光る"Cosmic Girl""Travelling Without Moving"、グルーヴィーでメロディアスな"Virtual Insanity"など、楽曲をさらに魅力的にしているものばかりだ。

ジェイ・ケイの決別、スチュアート・ゼンダーとしての活動を開始

1998年にジャミロクワイ(Jamiroquai)を脱退後、スチュアート・ゼンダー(Stuart Zender)個人としての活動を開始をする。しかし、ジャミロクワイ在籍時ほど上手くはいっておらず、ゲストとして招かれ、1~2曲ベースのレコーディングに参加する形が多くなったようだ。
ジャミロクワイを脱退した1998年、アメリカのR&B歌手であるローリン・ヒル(Lauryn Hill)のアルバム『ミスエデュケーション』(The Miseducation of Lauryn Hill)"Final Hour"にベーシストとして参加。
2000~2005年には妻であり、シンガーソングライターであるメラニー・ブラット(Melanie Blatt)とシングルを数曲リリースしているが、商業的には成功しなかった。

2007年には、ポップソウルシンガーであるマーク・ロンソン(Mark Ronson)の2ndアルバム『バージョン』(Version)に参加。"Stop Me""Apply Some Pressure"でベースをプレイしている。
2013年にはイギリスのR&Bシンガー、オマー(Omar)のアルバム『ザ・マン』(The Man)"Ordinary Day"にベーシストとして参加した。
2017年にはアメリカのギタリスト、スティーヴィー・サラス(Stevie Salas)とB'zのボーカリスト稲葉浩志が結成したグループINABA / SALASのツアーでベースをプレイしている。

スチュアート・ゼンダー(Stuart Zender)の音楽スタイル

グルーヴィーでスタイリッシュなベースラインが特徴。1970年代のブラック・ミュージックに影響を受けつつ、スタイリッシュさを加えたゼンダーの演奏は世界各国のベーシストに大きな影響を与えた。
休符とゴーストノートを活かしてる為、手数は少なめ。しかし、フィルインなどでは高速なフレーズを使用することもある。
譜面は読むことが出来ず、自分が演奏しているコード名も分からないが、音を認識することができる才能を持っており、コードの流れを理解しているそうだ。プレイするときは「自由に弾くこと」を意識しているようだが、コードや音を「色」で感じるスチュアートらしい芸当と言えるだろう。

影響を受けたミュージシャンはジャコ・パストリアス(Jaco Pastorius)、ナサニエル・フィリップス(Nathaniel Phillips)、ラリー・グラハム(Larry Graham)とファンキーなベーシストがズラリと並んでいる。

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