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最もファンキーなサックス奏者、メイシオ・パーカー(Maceo Parker)- ファンクの歴史に欠かせない男

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ファンクの神様であるジェームズ・ブラウン(James Brown)、そしてファンクの帝王と呼ばれているジョージ・クリントン(George Clinton)。彼らの全盛期を支えたサックス奏者、それがメイシオ・パーカー(Maceo Parker)だ。彼のリッチでシャープなサウンドは、レジェント達の楽曲をよりファンキーに、より完成度の高いものへと昇華させた。それ以降、ソロ活動も頻繁に行うようになり、ジェームズやジョージに匹敵するファンキーなアルバムを生み出し続け、いまでは「最もファンキーなサックス奏者」として認知されるようになった。彼無くして、ファンクの歴史は語れないだろう。
自身の音楽を「ファンク98%:ジャズ2%」と形容しているメイシオ・パーカー。
彼の音楽は、どのようにして作り上げられてきたのだろうか。

メイシオ・パーカー(Maceo Parker)、1943年2月14日にノースカロライナ州で生誕

メイシオ・パーカー(Maceo Parker)は1943年2月14日、ノースカロライナ州のキンストンで次男として生を受けた。息子にも同じ名前を授けた父親のメイシオ・パーカー(Maceo Parker Senior)はピアノとドラムを演奏しており、よくルイ・ジョーダン(Louis Jordan)の音楽を好んで聞いていた。
母親ノヴェラ(Novella Parker)は歌うことが好きで、いつもアカペラでゴスペルを歌っていた。音楽好きな両親は、週末は聖歌隊として活動をしており、メイシオも教会に行くのが楽しみだったようだ。また、家には古いアップライトピアノがあった為、パーカーの自宅で聖歌隊のリハーサルを行うこともあり、メイシオはこれを楽しんで聞いていた。

4歳になる頃、メイシオはピアノの演奏に興味を持ち、自宅で聖歌隊のリハーサルがあるときは、ピアニストの横に立ち、弾き方を観察し真似するようになった。メイシオはこの頃から「音階やキーに対する考え方を理解するきっかけになった」と語っている。独学ながら、音を”視覚・聴覚・理論的”に理解していったメイシオはある日、リハーサルで演奏していた曲を耳コピで演奏し、周りを驚かせたこともあるようだ。
5歳になると週に3回、ピアノレッスンを受け始める。しかし、周りが女の子ばかりだった為、”学校でからかわれる”との理由で辞めてしまった。

それでも独学でピアノは続け、徐々に音楽へのめり込んでいくメイシオ。ある日、母のノヴェラはメイシオを地元のマーチングバンドのライブへ連れて行った。メイシオはそこで聞いた”合唱団のような息遣いと、煌びやかで突き刺すようなサウンド”に魅了された。その時はマーチングバンドにピアノがいないことを知り、落胆したが、すぐにサックスを指差し、「あれが演奏したい!」と母に伝え、近いうちにサックスをレンタルしてくれることになった。
次の月曜日、メイシオは誇らしげにクラスメイトと先生にこう語った。
「僕は大きくなったら、サックスプレイヤーになる。」

パーカー三兄弟 、”the Junior Blue Notes”を結成

メイシオがサックスを始める頃、兄のケリス(Kellis)は既にトロンボーンを演奏していた。弟のメルビンも同時期に叔父のボビー(Bobby)の影響からドラムを始めることにした。
ボビーは自身のバンド”the Blue Notes”のリーダーとして活躍しており、地元では有名なバンドだった。彼らはナイトクラブでジャズスタンダードやR&Bなどを演奏しているバンドで時々、パーカー宅でリハーサルを行っていた。メイシオ三兄弟は”the Blue Notes”が”演奏している曲を聞き、真似して演奏するようになった。
この頃、メイシオはトランペット奏者のリー・モーガン (Lee Morgan)、フレディ・ハバード(Freddie Hubbard)、クリフォード・ブラウン(Clifford Brown)を好んで聞いており、彼らのプレイを参考にしていた。
「彼らはバラードをプレイするとき、ブレスのタイミングが完璧なんだ。メロディーをプレイするときも、原曲通り演奏することは一度もない。自分達の色を付けてメロディーを奏でるんだよ。」

メイシオにはティモシー(Timothy)という従弟がおり、彼はトランペットを演奏していた。パーカー兄弟とティモシーは近くに住んでいたため、よく4人で練習をするようになる。
この頃は4人で色々な音楽を聞き漁っていたようで、クラブに生バンドを見に行ったり、ティモシーの父であるフランク(Frank)からテレビで”Tommy and Jimmy Dorsey”や”Lawrence Welk”を見せてもらっていたりした。家にテレビが無かったパーカー兄弟は興奮していていたそうだ。
当時流行っていたレコードを聞いており、その楽曲達を自分達でアレンジして遊んだりもしていた。メイシオはピアノをやっていた経験から、曲を聞いてすぐに耳コピ、アレンジを行うことが出来た。彼らは毎日のように楽器を演奏し、技術を高めていった。
ここで一つ面白いエピソードがある。
パーカー家の隣にはブラウンという方が住んでいて、彼には小さい子供達がいた。ある日、ブラウンはパーカーの母親にこう言ったそうだ。
「僕の子供達がもう少し大きくなったら、楽器を買ってあげようと思っているんだよ。そうしたら、君の子供達に仕返しできるからね。」
当時の様子をメイシオはこう語っている。
「ブラウンさんはジョークで言っていたらしいけど、実際に大変だったと思うよ。だって僕らの楽器を始めたての演奏も聞かされていたからね(笑)。」

それから数ヶ月が過ぎ、遂にステージで演奏する機会を得ることになった。
祖父は彼らを自身のバンド”the Blue Notes”にちなみ、”the Junior Blue Notes”と名付け、バンドのセット間に演奏されることにした。メイシオはこの時のことを「初めてのステージは3~4曲だけだったけど凄く感動したよ。
演奏前、お客は”子供達の演奏だから”といった雰囲気があった。でもそんな大人達を僕らの演奏で驚かすことが出来て嬉しかった。」と語っている。
それから”the Junior Blue Notes”は地元のクラブにも声を掛け、演奏できる場所を増やしていった。ある日、いつも演奏している曲を違うキーで演奏したところ、散々な結果だった。その日以来、“the Blue Notes Junior”は色々なキーで演奏できるよう、トレーニングを始めた。
「ほとんどのテナーサックスプレイヤーはB♭での演奏を好むけど、僕は他のキーでも演奏できるように練習していた。その半音上げたBとかね。練習しない限り、サックスでキーを変えて即興で演奏するのはほぼ不可能に近いんだよ。」
メイシオ自身はハンク・クロフォード(Hank Crawford)、デヴィッド・ファットヘッド・ニューマン(David "Fathead" Newman)を好んで聞いていたが、”the Junior Blue Notes”で演奏するときは、キング・カーティス(King Curtis)やブーツ・ランドルフ(Boots Randolph)に影響を受けたスタイルで演奏をしていたようだ。

ファンクの神、ジェームズ・ブラウン(James Brown)との出会い

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メイシオの弟、メルビン・パーカー(Melvin Parker)。

月日が過ぎ、メイシオと弟のメルビンはノースカロライナ農業技術州立大学(North Carolina A&T)に入学する。
当時、メルビンがよくライブを行っていた”El Rocco Club”は、様々なジャンルのミュージシャンが集まる”たまり場”になっていた。ある日、ライブを終えたある三人がやってきた。それがガーネット・ミムズ(Garnet Mimms)、ベン・E・キング(Benjamin Earl King)、そしてジェームズ・ブラウン(James Brown)だった。
彼らはそれぞれサックスプレイヤー、キーボード奏者、ドラマーを探しており、見事ジェームズの目に留まったのがメルビンだった。
メルビンはその夜、父に電話してこう言った。
「今日バンドに誘われたんだけど、誰からだと思う?あのジェームズ・ブラウンからだよ!」
父のメイシオはとても喜んだが、「大学は卒業してほしい」と伝え、メルビンはそれを後日ジェームズに伝えると彼はこういった。
「君が学校に行っているのも知っているし、君の父の言う通りだ。もし君が学校を卒業して私と仕事がしたいときは連絡しなさい。君の席は確保しておくよ。」

1963年、メルビンが大学を卒業する年、ジェームズに連絡を取り、リハーサルに参加することになる。ジェームズのバンドには既にドラマーがいたが、彼はジャンルに合わせてドラマーを変えるスタイルを取っており、メルビンをファンキーな楽曲で使いたいと望んでいた。メルビンはバンドに入ることを決意するがその際、「新しいサックスプレイヤーを使ってくれないか?」とジェームズに尋ねる。
彼はこれを承諾し、メルビンと共に、メイシオもジェームズ・ブラウンバンドへ加入することとなったのだった。

メイシオ・パーカー、ファンクの歴史を築く

サックスをプレイするメイシオ(左)と隣で歌うジェームズ(右)

メイシオはバリトンサックスプレイヤーとしてバンドに加入した為、入団当初はソロを取ることは少なかった。この時の様子をメイシオは「やっぱりテナーが吹きたかったし、ソロを取りたかった。その力があると証明できるとも感じていたしね。でも、その時が来るまで準備をして待つことにした。」と語っている。

メイシオの状況が変わったのは1965年、ジェームズの"Papa's Got a Brand New Bag"でテナーサックスでソロを演奏したときからだ。
メイシオ・パーカーのリズミカルでシャープなサウンドは、ジェームズの楽曲をよりファンキーなものへと昇華させた。ここからメイシオはジェームズ・ブラウンバンドの”キー・プレイヤー”となった。この曲でジェームズは初めてのグラミー賞を受賞している。
その後、メイシオはテナーサックスを担当することになり、ジェームズの名曲"I Got You (I Feel Good)"や"Mother Popcorn"、”Sex Machine”、"Cold Sweat"のソロを取っている。バンドは軌道に乗っていたが1970年、ジェームズからメンバーへの支払いが少ないことに不安を覚えたメイシオを含むメンバーが一気に離脱することとなった。

その後、すぐに弟メルビンと共にMaceo & All the King's Menを結成、アルバム”Doin' Their Own Thing”をリリースした。このメンバーでのライブは大いに盛り上がったが、CDの売り上げは商業的に成功したとは言えなかった。しかし、楽曲はメイシオ・パーカーらしいファンキーな内容なので、メイシオファンであれば満足する作品だ。

1973年に入り、ジェームズのバンドに再加入。在籍中にもソロ活動は続け、1974年にはアルバム”Us”をリリースしている。その一年後の1975年、メイシオ・パーカー、トロンボーンのフレッド・ウェズリー(Fred Wesley)、ベーシストのブーツィー・コリンズ(Bootsy Collins)は同じくファンクミュージックで有名なジョージ・クリントン(George Clinton)のバンドであるPファンク、パーラメント・ファンカデリック(Parliament and Funkadelic)に移籍、彼とレコーディングやツアーなどを行っている。
この時期、すなわちジェームズ・ブラウンとジョージ・クリントンが活躍した1960年代、1970年代が「ファンクの全盛期」と言えるだろう。

ジャンルを越え、様々なアーティストと共演

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ファンクの帝王、ジョージ・クリントン(George Clinton)。

1984年、メイシオはジェームズのバンドに戻ったが、この間にもクリントンのソロアルバムでソロを取るなど登場している。また、クリントンがプロデュースしたRed Hot Chili Peppers(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)のアルバム”Freaky Styley”のレコーディングにも参加した。
1980年後半からはファンクのジャンルを越え、様々なジャンルでの活動が増え始める。1988年、ロックスターであるザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)のギタリスト、キース・リチャーズ(Keith Richards)からオファーがあり、彼のソロアルバム”Talk Is Cheap”に参加。その後もアメリカのハウス/ダンス・ミュージック・グループであるディー・ライト(Deee-Lite)、アメリカのハードロック・バンド、リヴィング・カラー(Living Colour)、同じくロックバンドのマテリアル(The Material)などのセッションにもしている。
1990年に入り、メイシオはソロ活動を本格的に開始。ジャズを基調とした”Roots Revisited”をVerve Recordsからリリース、Billboard Contemporary Jazz Chartsに10週に渡りチャート1位を獲得した。ここからメイシオは定期的にソロ・アルバムを発表するようになる。
翌年の1991年もジャズの要素を取り入れた”Mo' Roots”、1992年にジェームズバンドの卒業生であるフレッド・ウェズリー(Fred Wesley)、ピー・ウィー・エリス(Pee Wee Ellis)、ブーツィー・コリンズ(Bootsy Collins)を含むメンバーでライブアルバム”Life on Planet Groove”をリリース。この作品はメイシオのアルバムの中でも非常に評価が高く、名盤として知られている。その後も1993年”Southern Exposure”、翌年に”Maceo”、1998年に”Funk Overload”をメイシオ・パーカー(Maceo Parker)名義でリリースしている。

1999年、プリンス(Prince)の”Rave Un2 the Joy Fantastic”のレコーディングに参加。このアルバム以降、メイシオはプリンスのレコーディングやライブに定期的に登場するようになる。
アメリカの女性シンガー、アーニー・ディフランコ(Ani DiFranco)とも1999年の”To the Teeth”、2001年の“Reveling: Reckoning”にも参加した。
2001年にはデイヴ・マシューズ(Dave Matthews)のアルバム”Live in Chicago 12.19.98 at the United Center”でサックスを演奏している。
また、この間にも2000年に”Dial: M-A-C-E-O”をリリース。レコーディングには上に紹介したアーニーをボーカル、プリンスをアレンジャーして迎えている。他にもシェリル・スザンヌ・クロウ(Sheryl Crow)、ロドニー・カーティス(Rodney Curtis)、ジャマール・トーマス(Jamal Thomas)など豪華すぎるメンツが揃っている。もちろん、完成度も高くファンの間でも高い評価を得ている作品だ。

世界を舞台に活躍するサックス奏者、メイシオ・パーカー(Maceo Parker)

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サックスをプレイするキャンディ(左)とメイシオ(右)。

2003年には”Life on Planet Groove”で共演したオランダ・アムステルダム生まれのサックス奏者キャンディ・ダルファー(Candy Dulfer)をゲストに迎え、”Made by Maceo”を発表。
また翌年に1994年ハンブルグ公演の映像を中心としたドキュメンタリー作品”My First Name Is Maceo”がDVDとして発売された。ライブ映像が中心だが、彼のバンドメンバーやジョージ・クリントン(George Clinton)のコメントも収録されている。
2005年はジャクソン5(Jackson 5)の名曲”ABC”やサム・クックの”What a Wonderful World”をファンキーにアレンジしたナンバーを収録したアルバム”School's in”をリリース。

2007年、メイシオはドイツの名門ビッグバンド”WDR Big Band”とヨーロッパツアーを決行。このツアー音源はアルバム”Roots & Grooves”に収録されており、レイ・チャールズ(Ray Charles)の曲もふくまれている。ファンク、もしくはビッグバンドが好きな方には是非お勧めしたい作品だ。メイシオはこのアルバムでJammie for best Jazz Album in 2009を受賞している。
その間にもプリンス(Prince)のアルバム”Indigo Nights””Lotusflower”にサックスとして参加している。

2011年にはドイツで行われたLeverkusener Jazz Festivalにて再びWDR Big Bandと共演、翌年にこのコンサートを収録したアルバム”Soul Classics”をリリースした。この作品はクリスチャン・マクブライド(Christian McBride)、コラ・コールマン・ダンハム(Cora Coleman-Dunham)も参加しているのでファンには必聴のアルバムだろう。
2012年にフランスで最も大きな音楽の賞“Victoire du Jazz”にて”Lifetime Achievement Award“を受賞。翌年にメイシオの自伝98% Funky Stuff: My Life in Musicが出版された。
2016年にも地元であるノースカロライナで、ノースカロライナ・ヘリテッジ賞を受賞している。
2018年には14年振りのスタジオ・アルバム”It's All About Love”をリリース。バックにはWDR ビッグ・バンドを迎え、ドラムはコラ・コールマン・ダンハムなど、”Soul Classics”を思わせるメンツが揃っている。スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)の”Isn’t She Lovely”、 ウィルソン・ピケット(Wilson Pickett)が歌った”I’m in Love”など沢山の名曲をカバーしている。

70歳を超えた現在も精力的に活動しているメイシオ・パーカー。今後も新たな情報が追加され次第、更新していきたい。

メイシオ・パーカー(Maceo Parker)- ミュージックスタイル

彼のサックスはよく”リッチに輝くシャープな”サウンドと称される。まさにファンクにピッタリのサウンドと言えるだろう。ジャズミュージシャンでもあり、ジャズスタンダードを演奏することも少なくない。また、リー・モーガン (Lee Morgan)、フレディ・ハバード(Freddie Hubbard)をリスペクトしているだけあってバラードの演奏も素晴らしい。ファンキーな一面がよくフューチャーされるが、様々なジャンルに対応できるサックス奏者なのだ。それ故にサイドマンしても数えきれないほどのミュージシャンと共演し、多くの作品を残しているのだろう。また、ソロアルバムではリードボーカルを取ることも多く、歌声も非常にファンキーだ。
メイシオは自身のスタイルを「ファンク98%:ジャズ2%」と語っており、自他共に認める最もファンキーなサックス奏者なのだ。

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